大文字焼きがLED照明に その理由は? カギはボランティアとスポンサー

山梨県笛吹市で行われた「甲斐いちのみや大文字焼き」で、火ではなくLED照明で「大」の文字を点灯させたことがネットで話題になっている。

時代の流れだと受け入れる声や批判的な指摘など、様々な意見が上がっている。

■安全面やコストへ配慮

「甲斐いちのみや大文字焼き」は、江戸時代に行われていた精霊を送るお盆の祭りを、約150年ぶりに復活させたものだ。1988年から行われており、今回の2017年8月16日の開催で30回目となる。

笛吹市観光商工課の担当者によると、「大」の文字の点灯は毎年8月13日から16日まで行われている。従来、「大」の文字については、8月13日から15日まで白熱電球で点灯させ、16日のみ松明(たいまつ)を用いて火で明かりをつけていた。

しかし、松明を設置する際などに山の斜面に安定した足場を取れず危険だという意見があったことや、コストへの配慮から、2017年から全日程でLED照明で点灯させることになった。今回、44個の大型LED照明を用いて点灯させたとのことで、2018年以降も火を用いる予定はないという。
この件に対し、2ちゃんねるでは、
「CO2も出ないし、時代にあった試みなのかも。」
と、受け入れる声もある一方で、

「火じゃないじゃんw」
「誰が見にいくんだ、そんなもん」
「送り火をともす意味を履き違えてんじゃね? やめてしまえ」
と、批判的な声もあった。

背景に高齢化も

また、「そのうち花火もLEDかな」「もうバーチャル配信でいいじゃんw」といった声も寄せられていた。
こうした「火ではなくLED」に対する批判の声について、関係者はどう受け止めるのか。先の市の担当者は、「もちろん実行委員会の中にも、火ではなくなることへの無念さはあった」と明かす。しかし、実行委員会の委員の高齢化や消防への負担なども相まって、伝統として継続していくために今回の決断をしたとして、
「私たちとしては前向きに捉えてほしいな、と思いますね」
と語った。

参照元:ヤフーニュース
大文字焼きがLED照明に 「やめてしまえ」「これも時代の流れか」
参照先URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170819-00000000-jct-soci

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ネットの反応

名無しさん

高齢化で人手不足。よく聞くね。
こういう時こそSNSでボランティアを募ってみたら
どうだろう?若い奴らにも文化を残したいって
ヤツはいっぱいいるよ
名無しさん

LEDじゃ、ただの夜景じゃないのかな?
名無しさん

時代の流れと一言で済ませてしまうのはどうかと思う。
古き営みを後世に伝えると云うことはそれだけで価値がある事なのだから。一度楽をするとその文化の継承はさらに困難となり失われていくもの、安易に変えるべきではないと思います。
人手不足も地元の人でどうにかしたいと思っているはずなので報道の際には問題提起だけでなく地元へのフォローも考慮していただきたい。
名無しさん

九州に住んでいますが高齢化や集落の過疎化で開催が隔年になったり、休止されたお祭りはいっぱいあります。LEDの話とは別物ですが日本各地で消えていく伝統技術や祭りがたくさんあることを知るきっかけになると思います。
名無しさん

松明を使用しないのは、本来の意味合いからして疑問に思う。
だが、そういう当家も祭壇の明かりは、
火災予防の観点から蝋燭ではなく電気にしてしまった。
他人の事を批判できる立場ではありませんでした。
名無しさん

地元の人が地元の行事を残そうと悩んだ末にたどり着いた手段。批判が地元から出てるなら問題が深そうだが、記事では批判してるのは2ちゃんねるだの、そもそも火で行っていた頃を見たことあるかどうかもわからない輩。そもそも以前から最終日以外は白熱灯でしていたようなのに、それには何の批判もしていないのにLEDになったとたんに。周りが批判していることにのっかって、正義を振りかざして優越感に浸ってる人が多いのだろうな。
名無しさん

現場でやらないやつは何とでも言える。
苦渋の決断、よくわかります。それでも、この行事を残したい、それでいいじゃん。
で、再び、同じやり方でできるようになるトキのために、
「かつてはこうやっていた。こういう理由でこう変わった。」
って伝えればいいんじゃないかな?
名無しさん

このご時世、伝統を継承するのは大変な事。
高齢化・少子化・・。
試行錯誤する事は大切な事だと思う。頑張って欲しい。
赤字でも象印のポット見守りサービスを続ける理由に心温まる
名無しさん

これは難しいけど、ただただ、
「何もないともっとさみしい」と思う
名無しさん

今にプロジェクションマッピングの送り火も出たりして。
後継者いない、高齢化とかは致し方ないかな。
30年前に復活したのなら徐々にその中心だった人が
動けなくなってくる時期とも重なる。
たいてい山の上だし、普段から手入れしておかないと大変。
草刈りとか火床の補修とか。
京都は5つの全部の送り火に麓の地域の保存会があって、
市も観光イベントの要素もあるから支援してる。
なんと言ってもあまり若者出て行かないwww。
ただ今年の京都で観光客用と報道と思われる飛行機やヘリの
赤いランプが点火の時間前から上空に結構多かった。
送り火に手を合わせてる人も地上では多いし、気になる。
名無しさん

俺も市町村のイベントを担当している人たちと付き合ったけれども、
確かに高齢化はあるよ。
イベントをやるメンバーが固定化すると高齢化せざるを得ないんだよ。
そうした人たちが、合理化するためにLEDを使うのも理解できるよ。
なんにもやらない人たちが「やめてしまえ」と言うんだよね。
そういう人間ほど、いざイベントをやめると、役所はなんにもやらない、とモンクばかり言うのさ。
実際にイベントをやってる人たちは、役人でもなんでもない、本当の意味で意識の高い、地元の商工会や町内会の人たちなんだけれどもね。
世の中、なんにもやらない評論家が多すぎるのさ、
名無しさん

地元の祭事も同じ現象ですが、問題は高齢化だけではありません。
少なくなったとは言え、やってみようかな?と思う若い世代への引継が出来ていないのです。
一つに形式や組織運営、体裁ばかりを求め、本来ある祭事が目的でないことが多く、運営実態も時代背景にあった組織運営になっていないからだと思います。
地元でも盛り上げたい、手伝いたいと若い人も手をあげますが、意味のない寄り合い(ほぼ強制参加)、運営の非効率性(案を指摘しても改善されない)、運営側の裏に透ける宗教ビジネスの匂い(ボランティアと本来給与を払うべきものがごちゃまぜ状態)など。
昔の夫は働きに出、妻は専業主婦、2世帯同居、土日祝は休みなどの旧態の前提でいろいろなことが、運営方法に組み込まれていることが多く、最近の実態から乖離していることも、若者の参加を敬遠させてしまう一つの原因かと思います。
名無しさん

その慣れないボランティアが急斜面で怪我をしたり、それを案内、指導するにも経費がかかるでしょう?消防の問題もあるって書いてありますよね。それらをきちんと考慮してあげないと、人手がない、じゃあボランティアってかなり安易すぎえる。
名無しさん

止むを得ずというのが分かる。
LEDにするのにかなり費用もかかっただろうし、そう説得した人も大変だったと思う。
名無しさん

150年間断絶していたわけだし、
LEDのせいで盛り上がらず人が集まらなくなったら、
また休眠すればよい。
いずれ復活したり、しなかったりするだけのこと。
名無しさん

まず、存続させることが前提で、今あるリソースの中で実現した正に苦渋の選択だと思うけど、自分は継続させる事に意味があるとおもう人なので前向きに捉えるべきだと思うけどね。
正直、こういった事に手も金も出さない人が
グダグダ言うけど気にする必要ないですよ。どんなものでも時代によって変わっていくもので、変わらないと途絶えてしまうものです。
名無しさん

我が家の神棚のロウソク、LEDです。
しかもリモコン。
安全対策もあるけど、楽のほうが大きい。
私も伝統的な祭りに関わっているが、そんな人が増えてきたので続いていくはずもなく、廃れてきてます。
まさに、風前の灯火です。
名無しさん

大事なのは気持ち。
形が変わっても、気持ちがあればいいと思います。伝統文化って、そうして残ってきたものがたくさんあると思うのです。
数百年前の人からしたら、えっ!?って思われるような継承文化の電気化、自動化、簡素化もそこここにあるのではないでしょうか
名無しさん

写真見たら、思いの外違和感なかった。
それでも最終日だけでも火をつけていたのは、思いがあってのことだろう。
それをやめてしまうのは寂しい思いもするが・・・
長良川の鵜飼いで、松明じゃなくてLEDにしたらどん引きするけどね。だったら服装もTシャツ短パンでいいじゃんって。
名無しさん

とある所でやはり大文字焼きを行ってますがそこでは毎年松明の収集作業急斜面での草刈り3、4ヶ月前から準備してるそうです
毎年の事なので松明の素材になる竹が年々取れなく数年前には準備もしないで本番だけノコノコやって来ておいしいとこだけ持っていくジジイ達のプレッシャーで当時リーダー的な奴が自殺した事を聞いた事があります
それでも毎年5月頃から8月本番まで普段肉体労働してる連中が土日休みを返上して炎天下で頑張ってる姿を見てるとすっごい奴等だと感心しながら見守ってます
風情が無くなるのもちょっと寂しかもしれないが
時代と共に変えなくちゃいけない事も多々あるんじゃないかなと思います
名無しさん

私も祭り関係者になり
火文字担当になりました
外から見ればただただ簡単に見えますが
とても大変です
草刈り、位置決め、くい打ち、麻布を中に入れた後灯油入れ
燈火、終了後杭回収
十人以上いて何回も山を登ったり下ったり何時間かかるのやら
ボランティアのようなものなんで報酬もなし
LEDじゃなくって
今はやりのプロジェクションマッピングのほうが客寄せにはいいと思いますが高コスト
何も考えずに何も知らない、プロジェクションマッピングにしたら?等いろいろな提案もないのにネットで批判
そりゃー楽でいいね
それでも残していくことが大切だと思います
名無しさん

お祭りの文化を継承するのはその土地で生まれ育った、根っからの地元の人間でないと難しい。
例をあげればお盆の行事がそう。
嫁、婿に来て、その土地の風土、風習、家のしきたりそういったものを自分のものとして捉えられるかがネックになると思う。
そういう気持ちがないのに、工程だけ覚えても、結局細かいところでボロが出て、このような大掛かりな行事では事故につながる。
名無しさん

大文字焼きと言えばじぶんは京都の嵐山で小さい時に毎年祖父が住んでたマンションの屋上から見てました。
こういった行事を継承していくことが難しくなってきたというのは寂しいものですね。
受け継げる地域はなんとか受け継いでいってほしいものです。LEDへの変更に関しては、何も協力ができない自分は批判できる立場にないので、現場の方々の判断お任せするしかないかと思います。
名無しさん

松明かLEDか…は、あくまで手段の選択にしかすぎないと思う。
きちんと調べれば、いま「伝統的」と言われてるものにも時代に合わせて変わってきてるわけで、始まった当時から完全に同じ形を継承してるものの方が少ないのでは?
もっと本質的なことを言うなら、戦後日本において文化の継承があまりに上手くいってないことの方が問題。
この大文字焼きの件も実行委員の高齢化とかいうけど、高齢化するまで継承者が現れないことが問題。
グローバルの意味を履き違えて外国の模倣・追随ばかりしてきたけど、このままだと「日本ってどんな国?」と聞かれた時に、答えられるものがなくなってしまいそう。
名無しさん

地元のお祭りに救護班として参加しました。暑い中みなさん本当に頑張っていましたが、実行委員、責任者らしき人は高齢の人多かったですね。ただ、若い人も多い地域なので、祭りに参加する人、手伝う人多いです。盛り上がります。地域によっても、人の集まり方などが違うし……何とも言えないけれど、もし祭りを行った近隣、同じ地区、地域の人がLEDならやめてしまえ、というならそれも違うかも……。私は毎年、救護班参加していますが、貢献になればと思っています。
名無しさん

うちの近所の地蔵盆ではたくさんの提灯をつるしてるけど
全部LED豆球だよ。
火のほうがロマンチックだけど、事情があるなら、あかりをあげることが大事だとおもう。
名無しさん

高齢化、過疎化で昔からの伝統行事(祭りなど)が維持できなくなった、地方も多くあります、だだ、大文字焼の様に有名じゃないから話題にならないだけです。
笛吹市の判断を酷評しているのは、地元の人では無く、煙立つ大文字焼を見たい観光客のような気がします。この人たちはこの伝統行事をどれだけ理解し、畏敬に触れて感動しているのか?甚だ疑問ですね。
この人たちに、では従来通りに戻す為に、業者と共同してやりますので、拝観料を徴収すると言ったら、それも酷評されるでしょう。
維持が大変な伝統行事や、年を追って朽ちて行く文化財を守るのに、お金が掛からないと思ったら大間違いで、地元では多くの寄付金負担をしているのが実情です。
名無しさん

20年は前の話ですが、京都五山の送り火の時、四条の橋を歩いてたら橋にいたおじいさんが「昔はここからも見えたのに建物が建って、、」と本当に泣いていた。今年は試しにLEDでってのもあったかもしれないけど、こう言う行事はなんとかして存続の方向を模索してほしい
名無しさん

ニュースで知って寂しい気がする。でも、隣の家の人が仏壇のロウソクを電燈に変えたからと言って、自分は線香をあげにいくわけでもない人たちに、近所で噂話のネタにされると供養する気持ちが萎えるものではないだろうか。
これが京都の大文字だったら、もはや京都だけじゃなく日本を代表する伝統文化の行事だと思うので、自分も色々と考えて口出しをしたり、手助けをできないかと思ったりするけどね。
この町の大文字は、他の地域の人がとやかく批判するほど大きな問題とも思わない。観光に行く気がしないなら行かなければいいし、行事に関係する地元の人たちが決めたなら、そっとしておいてあげた方が、先祖の供養が静かに出来ると思う。
京都の大文字との線引きは客観的には難しいので、あくまで自分の感覚だと言うしかありません。
名無しさん

燃えたこともあったしな。。準備も大変だし仕方ないな。
名無しさん

確かにもうやめどきかもね。それでも松明でやれって言う人は自分達で金出せよって話し。
名無しさん

灯明も本当のろうそく等ではなくLED照明を使ったりすることが主流になっていますし、火事を防ぐ意味でも仕方がないのかもしれませんね。松明を入手するだけでも大変そうですし、時代の流れでしょうか。
こうやってちょっと騒ぎに(ニュースに)なれば、来年はボランティアが集まるかな。
それにしても、本場の京都在ですが、「大文字焼き」という言い方には違和感を覚えてしまいます。
名無しさん

ご先祖様もびっくりかもしれませんね(^-^;
しかし、もともとはお盆に帰ってきたご先祖様をお送りする、ということなので、気持ちがこもっていればよいと思います。
これも時代の流れでしょうか。
そのうち、色を付けたり、時間的に変化する送り火、というのもありかもしれません。
ネオンみたいにどぎつくなくて、それなりに心安らぐ発光方法はできると思います。
曼荼羅などを見ると、仏教はもともと結構派手な色使いをするようです。
今の仏像が単色ですすけているのは色が落ちているだけで、もともとはきれいな色が塗られていたと思います。
送り火も、ハイテクを使って色彩豊かなものにしてもよいと思います。
本当の火を使うと危険で、コストもかかり、温暖化対策の点でも多少の問題がありそうなので、LEDはよい考えだと思います。
名無しさん

伝統的なものでも、その時代の技術に置き換わられるのは避けられないことと思う。寂しいとは思っても、だからといってただ否定するだけの人は多くいても、現実に自分たちでそれを守っていこうと思ったらいろんな事情があって難しいこともあるだろう。ボランティアを募るっていう意見もあるが、はたして本気で守りたい人がどこまでいるだろうか?
名無しさん

最近は御輿も担がないで、トラックに載せて町内廻って、立ち寄り所だけちょっと担ぎます。
意味がないな?って思うけど、これも時代。
名無しさん

昔の人もLEDあったら使ったんじゃない?何でも伝統とか言っても存続出来なきゃ意味が無いと思うけどね。
名無しさん

150年間止めていた理由がわかった。自分の家で自分の力でやる方が先祖供養になるように感じる。
名無しさん

まだそこに緑豊かな山が残ってるだけありがたいと思う。
近い将来、開拓されて山すら無くなってるかもしれませんから。
LEDなら山火事の心配も無いし、メリットもあると思います。
名無しさん

大手企業の研修で、忍耐力や協調性を養う為に長距離を歩いたりしているのなら、時期が違うので難しい面はあると思いますが、こちらの準備や本番のお手伝いを研修に充てて頂けないかなぁ。
名無しさん

時代の流れかも知れないが昔何故出来たかを辿っていけば人々の願いや盆の行事の一つに送り火にした経過があり京都の大文字も同じ、やっぱり最小限に留めて欲しいですね
名無しさん

送り火ではないよね。送り明かりだわ。
まぁ明かりが無い昔でも、明かりがあったら火を使ったかどうかとは思う。
ただ多くの人がこれで良しとし、見に来てくれるかが問題。
名無しさん

山火事のリスクを考えるとやむを得ないのかな。
名無しさん

LEDで良いじゃん。火事にならないし、白熱灯より1/3の電力で済む。
そんなに拘るなら文句言う人がボランティアになれば良い。
名無しさん

電気屋でお線香、ロウソクのLED製品が売っていた、先祖を敬う心があれば高齢化で手元がおぼつかない人たちにはいいのではないか?
大文字のLED反対する人も手伝ってくれと言われてもどのくらい集まるかわかりませんが。
名無しさん

送り火を灯す意味は単純に光が必要だったから。
昔の人もその当時にLEDがあったら使ってるよ。
名無しさん

電灯式のろうそくもありますしね。
実家の仏壇のろうそくも電灯式になりました。親の高齢化もあるのでこの方が安心です。
名無しさん

ボヤ騒ぎでも起こればそれこそ誰の責任だ?と大問題になる
先祖を敬う気持ちがあればLEDでも良いと思う
自宅の仏壇も、お年寄りが毎日ロウソクを使うより電球のほうが安心だし同じでは?
名無しさん

LEDで復活させたと言えるのでしょうか?別物だと考えればいいのでしょうけど。焼きではないですね。
名無しさん

そもそも1回途絶えていたものを復活させたんだから
初めから全日程電灯でよかったんだよ!
京都のように途絶えたことがない(戦時中とか中止したのかも??)
ものは実行委員会自体がしっかりしてるし
どんどん若者が自主的に加入している!
今回の場所は人手も予算もないならLEDで十分だし
それらもなくなってくるのなら 止めればいい!
伝統とは新しい物と融合して変わっていくものだと思います。
名無しさん

そのうちキャンプファイヤーもLEDになる時代がくるのかな?
名無しさん

ボヤ騒ぎでも起こればそれこそ誰の責任だ?と大問題になる
先祖を敬う気持ちがあればLEDでも良いと思う
自宅の仏壇も、お年寄りが毎日ロウソクを使うより電球のほうが安心だし同じでは?
名無しさん

関係ない人がネットで批判するのは簡単だけど、実際やろうとすると難しいからこうなってるんでしょうね。
名無しさん

LEDならば、山火事対策などの安全面やCO2排出問題などメリットも大きい。風情が無くなるのがデメリットですね。
名無しさん

苦渋の決断ではあったのだと思うが、これじゃあ、花火大会も3Dマッピングとかになりそう。そうならない為にも、若者層のもっと積極的な活動が必要なのかも。
名無しさん

この大文字焼きは送り火ということだけど、その意味で存続させたいと思っている人がたくさんいるのかな。送り火はお盆の行事なんだから、他の宗教を信じる人には関係ないし、公費で支援しているとしたら、宗教行事でなく伝統行事という位置付けにされているはず。途絶えていたのを復活させたのは、観光のため、客寄せが目的だったのでは(違ってたらごめんなさい)。
形式だけで、意味を失ったなら、地域のイベントとして見直ししたらよいのでは。実際、仕事を持っている世代は、特別に情熱を持った個人以外はとても祭りの企画までに関われなくて、前例を踏襲するだけで精一杯ではないかと思います。仕事を引退した高齢者が祭りの運営の主力になれるように企画から見直しをしたらよいと思います。
名無しさん

毎年だから、負担も大きいのでは。
火じゃないと伝統継承とはならないと思う。
5年に1度とか、10年に1度とか、これまで通りのやり方で継承してほしいなと思う。
名無しさん

伝統はできる限り残って欲しいが危険なのであれば一考は必要。LEDはちょっと、、とは思うが。
名無しさん

今から50年くらい前、
仏壇のローソクや盆提灯が電気に変わったころにも
否定的な考えの人が結構いたと思うが
今じゃむしろ電気が当たり前。
ローソクはともかく本物の提灯なんて今の若い奴等は
見たことないというのがほとんどだと思う。
LED大文字もまあそのうち慣れるやろ。
名無しさん

江戸時代にLED電灯があったら多分使っていたと思う
名無しさん

その土地にとっての送り火が文字通り「火」でなくてはイケナイのか、灯りであれば問題は無いのか、その辺りはどうなんでしょうね?地方によってはロウソクの炎でも送り火としての役割を担っています。一般論ではなくてその地域の方々がどのようにお考えなのかでしょうね。
名無しさん

その土地にとっての送り火が文字通り「火」でなくてはイケナイのか、灯りであれば問題は無いのか、その辺りはどうなんでしょうね?地方によってはロウソクの炎でも送り火としての役割を担っています。一般論ではなくてその地域の方々がどのようにお考えなのかでしょうね。
名無しさん

気に入らないのなら、見なければ良い事よ、それだけの事
名無しさん

何も出来ないから文句なんて無い。
だけど日本の良き伝統や文化って無くしたくはないなぁって、勿体無いなぁとは思ってしまう。
よく『~~~を守る会』とかあるけどそうゆうのは都会が多いのかなぁ、あれば若い人達も敷居が低く入りやすいのにね。
名無しさん

う~ん…。
もう無くしてしまっても良いのでは…と思う。
一度は途絶えているようだし、高齢化、負担、危険、色々あってという事なら、何が何でも残そうとするのでは無く、いつかまた若者が復活させてくれる事を信じて、もう一度、お休みさせるのもありだと思う。
地元の方々の苦肉の策なんだろうけど、正直、あまりかっこいいとは思えない。
なぜ松明なのか、そこにも意味があるはず。
形ばかり残しても、中身の無いものでは…。
名無しさん

(斜に構えた論評だけど)LED送り火キットをつくったら、大文字がどこでも(おらが村にも)見られるお盆の新常識になるかも。でも松明のプレミアム感はかえってUPするかも。
名無しさん

色々理由はあるでしょうけど・・・
形だけ継承するのってどうなんだろう。
LED使うなら、もうやめた方がいいと思うな。
名無しさん

京都の大文字送り火も後継者不足で、男系男子のみから女系男子も含めることになった。残すべきところは残しつつ、改めるべきところ、妥協できるところは変えていかんと伝統の行事も消えてしまう運命か。
名無しさん

やってる人が高齢化してきてるし、山火事等の心配もあるからね、昔の山だけの時代と違うから仕方ないのかな?またいつか戻ってくることを祈ってるよ
名無しさん

文化と文明の折り合いをどうつけるか。
これは難しい問題だと思う。
個人的にはできるだけ古来のやり方を踏襲してもらいたいけどねえ。
名無しさん

逆に興味が湧く、実際に見てどう感じるか。
なんとか都合つけて見に行ってみたいね。
名無しさん

火なのか?人工の光なのか?
よりも大切なのは、その文化だと思います。
現地の人がどんな思いでやり、何のためにやるかがきちんとしていればいいのではないかな。
江戸時代くらいまでは火事はもの凄く危険であって、
火を扱うというのはとても大事なことであった。
花火にしろ、こういう行事にしろ、その時代の科学レベルの披露という面もあった。
繰り返しになるけどきちんと文化を残す思いがあれば、どんな光を使ってもいいのではないかと思う。
名無しさん

伝統が失われるのは残念だけど。
この手法だと機材と適正な地形があれば、どこでもできるよね。
ありがたみがなくなる反面、イベントでの集客ができる。
スキー場のゲレンデの脇、コンサート会場や花火大会の背景、着地時の滑走路のデコレーション、被災地イベント。
伝統は可能な限り原型を留める努力をしながらも、新しい技術は色々と使えるんじゃないだろうかね。
名無しさん

本来の意味が無いと言ってしまえばそれまでだが、じゃぁ、誰が続けるのって話。
若い世代が大勢、進んで受け継いでくれているならこうは成らなかったのでは?
火をつけるだけじゃ無く、準備の為に山を整備したり、燃え移らない様に監視したり、後片付けしたり…
リアルな話、人手と金が掛かる。
簡単に「風情が無い」「意味が無い」と言ってしまうのは乱暴かな?
こう言うのは気持ちが一番大切なのだから、これはこれで現代として良いのかも知れない。
私も味気なく感じてはいますが…
全く無くなってしまうよりは良いのでは?
名無しさん

やめてしまえいうけど、毎年恒例の行事で夏の風物詩として親しまれていたなら、やめたら寂しいと思うよ。
ただのLEDでは無機質な光になってしまうが、見せ方を工夫して炎の揺らぎや発煙装置等で炎に似たものを作る事は出来ないのだろうか?
名無しさん

コスト面の問題もあるみたいだから、LEDが駄目なら中止って事でしょ。
なんとか形だけでも残すためにはLEDしかなかった。
苦渋の決断ですね。
LEDでやったことによって、逆に目立ってニュースになったのは良かったな。
協力してくれるスポンサーが現れるかもしれない。

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